第6回21世紀漢方フォーラム

第6回21世紀漢方フォーラム

「漢方・鍼灸を活用した日本型医療の実現に向けた具体的対応」の概要

(2010月1日開催、於:慶応義塾大学医学部北里講堂)

(はじめに)

昨年12月の第5回21世紀漢方フォーラムでは、(1)漢方・鍼灸医学と西洋医学とは相互補完しうる関係にあって、(2)双方が一段と対話・協調する環境も生まれつつあるが、(3)漢方・鍼灸医学を発展させるためには諸々の政策対応が必要となる、との問題意識が共有された。

また、平成21年度厚生労働科学研究費補助金特別研究『漢方・鍼灸を活用した日本型医療の創生のための調査研究』では数回の会合を開催し、上記諸点についての議論を深め、去る2月25日に『漢方・鍼灸を活用した日本型医療のための提言』http://kampo.tr-networks.org/sr2009/index.php/output を厚生労働大臣に提出したところである。

この『提言』は、(1)体質にあった「オーダーメイド医療」実現のための基盤整備(科学的分析の推進、人材の育成)、(2)生薬資源の確保、(3)国際ルール作りへの対応、(4)国民への知識普及、(5)施策推進のための組織的整備、を柱としたものであったが、今後はこれらを実現していくための具体的・継続的な対応が重要となってくる。

こうした問題意識の下、今回のフォーラムは、3団体(慶應義塾大学医学部漢方医学センター、NPO健康医療開発機構、医療志民の会)の共同で開催され、130名の聴衆を前に、熱心な討議が繰り広げられた。以下では、(1)慶應義塾大学医学部生による発表の概要、並びに(2)パネル・ディスカッションにおける議論を中心に紹介することとする。

Ⅰ.概要

1.「オーダーメイド医療」に向けた基盤整備については、多様な問診データを駆使することで漢方における「証」の診断をかなりの精度で行う『問診システム』の有用性が紹介されるとともに、「個別化医療」を推進していくためには情報科学を今後とも積極的に活用していくことの重要性が強調された。

2.漢方的手法や考え方を医学部教育や医療現場に積極的に取り入れていくことについては、医療界や医師と患者との関係を変えうるものとしての強い期待が表明されるとともに、これを実現する一つの方策として医師国家試験に漢方を入れることについても前向きな発言が聞かれた。

3.生薬原料の国内生産推進については、品目によっては可能であるが、これを実現していくためには、栽培技術の伝承、種苗確保、高い品質の実現といった諸課題を同時に解決する必要があることが指摘された。

4.いずれの論点についても、産業活性化のきっかけとなる可能性も含め、国家的な政策課題として本格的に取り組むことが重要であるとの認識が共有された

Ⅱ.「漢方を活用した医療」に関する検討・試算

1.インフルエンザ治療薬として漢方薬を積極的に利用した場合の医療費節減効果の試算(慶應義塾大学医学部生・大澤氏) ][資料PDF]

(1)毎年大勢の罹患者が発生するインフルエンザについて、タミフル等を処方するのではなく、漢方薬(麻黄湯)を積極的に切り替えていくことで、90億円以上の医療費節減が期待できる(ただし、これは患者の「証」に合わせた漢方処方を的確に出来る医師が全国に配備された上で、患者300万人に処方する、という前提による試算値であり、下記(3)の課題がクリアされた上の話である)。

(2)もとより漢方医療は医療費削減を一義的な目的とするものではないが、インフルエンザに対する治療効果に遜色がない中で、医療費節減効果が大きいことは、漢方医療を臨床の現場において一段と活用する利点としてアピールしうる。

(3)もっとも、これを実現するには、(1)医師への漢方教育の充実、(2)科学的根拠(エビデンス)の確立、(3)生薬原料の確保、について本格的な政策対応が必要であることは留意されるべき。

2.葉たばこ農家の転作により、生薬原料の国内生産を増やすための条件の検討(慶應義塾大学医学部生・松本・竹原氏)[資料PDF]

(1)「国内の葉たばこ農家が、葉たばこ栽培に代えて生薬原料の栽培を行う」というシナリオは、生薬原料品目によっては現実的な政策たりうるし、自給率の引き上げも可能となる。

(2)もっとも、これを実現し、輸入品と競合できるようにするためには、転作奨励金や生産補助金といった所得支援策が相応に必要となる。

(3)また、実際に転作を奨励していくためには、上記所得支援策のみならず、(1)経営リスクの軽減、(2)栽培技術・ノウハウの提供、(3)価格競争力の強化といった課題についても同時に解決していく必要があることは留意されるべき。

Ⅲ.「オーダーメイド医療」に向けた基盤整備方法の一例の紹介(慶應義塾大学医学部漢方医療センター長・渡辺氏)[資料PDF]

(1)西洋医学で医薬品の効果をみるための通常の試験方法(RCT:無作為化比較試験)では、個々人の体質等の違いは集団全体でみれば均質化されることを前提にして、薬効の有無を比較している。一方、漢方医療は、個人の体質の相違や主観を重視した治療を行うため、こうした治療効果の試験方法にはなじまず「科学的エビデンス」を集積しにくいという問題があった

(2)慶應義塾大学では、漢方医療の治療効果をみるため、(1)患者の主観等を含めた多数の問診項目や診断データ(因子)をデータ化した上で、(2)これら多数の因子の相関関係をコンピュータで解析して数式化するというデータ・マイニング手法を使った問診システム(『問診くん』)の研究を進めている。

(3)まだ症例数は少ないものの、当問診システムによって「証」(患者の体質・症状等)などを診断することがかなりの精度で出来ている。症例数を十分に増やしていけば、これまで経験則で示してきた漢方の診断や治療効果を、情報科学を使って「より現代的なかたち」で提示することが出来るとみられる。

(4)また、当システムのように、医師・患者が共有できる情報プラットフォームが出来ることによって、個々の患者は自分自身にとって一番合った治療法を選択しやすくなるなど、「個別化医療」「患者中心の医療」が可能となる。

Ⅲ.パネル討論の概要

1.「オーダーメイド医療(個別化医療)」――東西医学それぞれにおける現状

・ 乳がんの手術後、抗がん剤・分子標的薬・ホルモン剤治療を受け、その副作用で痒みや手足の痺れなどがひどく大変辛かったが、漢方医療に出会うことで、抗がん

剤治療を受けながら副作用を消失させることができた。

抗がん剤治療では、がんのグレード等が同等の患者には基本的には同じ「標準的な治療」がなされる一方、漢方医療では、自分の体質や症状にあった治療をする「オーダーメイド医療」であったことを実感した。

また、不安が先立ち自分の状況を客観視することが難しい患者にとって、『問診くん』による問診・診断内容の提示は、自分の症状の推移を視覚的に捉えることが出来、大変わかりやすく有難いものであった。(バックレイ氏)

・ 90年代初頭に始まった「ヒトゲノム計画」では一人のDNAを解析することに13年かかった。しかしながら、最近の技術革新によりこれを2-3日で出来るまでになっている。こうした遺伝子情報の解析には大規模なスーパー・コンピュータが不可欠である。そうした中で、「次世代の個別化医療の実現は、情報科学的アプローチに完全に依存している」という米国メイヨー・クリニック個別化医療センター長の発言に象徴されるように、米国などでは遺伝子情報の解析結果をベースとした「個別化医療」を推進する動きを非常に積極化させている。

(遺伝子情報の解析結果は、漢方の「証」をみる上での一つの基礎情報にもなることから)こうした研究が漢方のエビデンス創出の一端を担うことも出来ると考えている。(井元氏)

・ 西洋医学では、本当は千差万別である人間を平均化して薬効の有無等を測ってきたことから、そのいわば平均値にあたっている人以外にはその薬がずばり効いていないという問題がある。

一方、情報科学の力を駆使した「問診システム」によって、9割前後の精度で漢方の「証」等を診断できるということは実に素晴らしいことである。5年前にこうしたフォーラムで情報科学の医療への積極的活用を提唱した一人として感慨深い。

これを踏まえてのお願いであるが、次のステップとしては、自覚症状をデータ化している現状の問診システムに、血圧・血液検査結果といった「バイオ・マーカー」のデータも取り込んでいってほしい。これにより、生来的なゲノムと外的要因とが組み合わさって症状として現れていく中で、自覚していない症状と漢方の「証」との関係までもみることが出来るようになってくるので、ものすごく面白くなってくる。

ちなみに、スーパー・コンピュータについては、事業仕分けでご心配をおかけしたがきちんと対応しているので安心してほしい。10ペタ・フロップスの計算能力を有するスーパー・コンピュータを当初予定から半年遅れてではあるが神戸に導入するほか、さらに「1台の高性能のものをスタンド・アローンとして使う」という当初のコンセプトから変えて、全国にある20数台のスーパー・コンピュータとネットワークで繋いで計算資源(計算能力)を共有する「ハイ・パフォーマンス・コンピューティング・クラウド」というかたちにした。このオール・ジャパンの高い計算能力を活用してどんどん解析・研究を進めていただきたい

なお、今回の事業仕分け作業には大勢の有識者がいたにも拘らず、仕分けで混乱を招いたことで感じたことであるが、学者はもっと専門外の色々な分野についても学際的に勉強していってほしい。(鈴木氏)

・ 「多種多様のデータの解析」について若干解説をすると、データには「年齢」-「○才」「氏名」-「○○○○」といったように「属性」との繋がりをもった「構造化」されたデータというものと、そういった属性情報との繋がりがどんどん変わる「反構造化型」ないし繋がりが明確でない「非構造化型」データというのがある。これまでのコンピュータでは「構造化」型のデータは扱えたが、「反構造化」「非構造化」型までが混在したデータについて瞬時に計算するには、物凄い計算能力をもったコンピュータや革新的なソフトウェア技術が必要となる。こうした技術はまだ各国で研究段階にあるが、これが実用化されれば、新しい産業を生み出すことになる。(原氏)

・  西洋医学におけるRCTは、漢方には馴染まないという説明があったが、これでは西洋医学を信奉している人々を説得することができない。例えば「副作用の抑制」という試験目的に絞って西洋薬・漢方薬の効果を比較すれば、RCTは成立するであろう。このように、相手側の手法・論理に踏み込んで自分たちの正当性をアピールした上で、データ・マイニングなどの新手法を取り入れるようにすれば、説得力のあるものになるのではないか。(土屋氏)

・ 先般の特別研究『漢方・鍼灸を活用した日本型医療の創生のための調査研究』では、こうした情報科学を活用して「オーダーメイド医療」が実現していけば医療の効率化・医療費削減にも繋がると考え、そうした医療の実現に向けた基盤整備をすべきであるということを「提言」に盛り込んだ。(黒岩氏)

2.漢方的な考え方を医療に取り入れることの意義

・  医学部における漢方教育は重要であるとかねてより考えており、平成13年にモデル・コア・カリキュラムに漢方が導入されたが、更にこの内容を豊かにしていってほしい。医学生の中には、漢方に関心を持つ層と単位さえとれればよいとする層と二極化していて大変残念である。

そうした点からも、医師国家試験に漢方を入れていくことは是非取り組んでいきたい。これは、将来の医師のみならず、現在医師免許を既に有している医師に対しても漢方が重要であるというメッセージになる。とはいえ、政治・行政が行うのはそうした枠組み作りであって、実際にこれを実現していく際には、最終的には学会・医師側が決めていくこととなるので、その段階でこの構想が頓挫することのないようにお願いしたい。(鈴木氏)

・ 端的には、良医であるかどうかは「漢方好き」か否かで見分けられると思う。自分は内科医としてやってきたが、疾病を治せない限界を感じて治療方法を探し求めていく中で漢方に出会った。(渡辺氏)

・  漢方的な考え方・思想は、医師に限らず、鍼灸師・薬剤師や看護師等を含め、広く知っておくべきであるので、研修・教育の対象には医師以外の医療従事者も加えてほしい。(後藤氏)

・ 漢方的な考え方を取り入れることは大賛成であり、個別化医療を進めることは大変重要である。もっとも、西洋医学についても、本来はそうしたことが実践されてきたものが、明治以降、日本に導入されていく中で歪んでいったとみるべきである。

例えば、抗癌剤についても、日本では20年前には副作用が出ても当然視されたが、欧米においては副作用をいかに減らしながら抗癌剤を投与できるかという観点で、鎮痛・制吐剤の併用、抜け毛の防止といった研究がどんどんなされていった。日本の「似非西洋医学」では、自らが臨床の現場において気をつけて工夫するという姿勢が恐ろしく欠けている。(土屋氏)

・  漢方薬を使うとか使わないではなく,漢方的な手法や哲学が今の医療に欠けているところが問題である。EBM(evidence-based medicine)が医療の重要な柱であるのは確かであるが、本当の医療の世界では、標準的な疾病・治療から離れたケースにどう対処していくかが重要であるのに、患者が治癒しない場合にも『EBMに沿って治療している』ことを言い訳にしている面がある。こうした中で、漢方的手法・思考を医療に取り入れようという動きは、医療界や医師と患者との関係を変えうるものと期待している。(梅村氏)。

3.生薬資源確保――国内生産の推進に向けた課題

・ 先ほどの学生発表では、生産価格のみならず栽培技術の問題までを含め、生薬の国内生産推進にかかる課題をよく捉えていた。

先般の「提言」では生薬原料の自給率50%を目指すことを謳っているが、日本の気候・土壌では栽培が適さないものもあるので、200数十種類ある生薬について一律自給率を上げることは現実的ではなく、品種を選定して重点的に対応していくことが重要である。

元々国内栽培されていたものが、価格競争に敗れて生産量が減ったものについては基本的には栽培は可能であるが、生産量が激減したものも多数あり、そうしたものの栽培技術が伝承されなくなっている問題がある。また、種苗自体が消えつつあるので、種苗の確保がまず必要である。

生薬原料は、ただ多量に生産すればよいということではなく、薬として使えるだけの高い品質の確保が鍵となるが、そうした点を十分に配慮して産業として成立させる必要がある。

また、栽培ではなく野生のものに頼っている麻黄・甘草等は、将来的な資源確保を考えると栽培化を視野に入れる必要がある。ただ、野生のものと栽培されたものとでは成分が違う可能性があることから、「薬効が同じ」であることを担保することが重要である。

その「薬効が同じ」であることを担保する方法の一つとして、前述のデータ・マイニングの手法を活用する余地がある。そもそも、生薬は天然物であることから有効成分にばらつきがあるが、野生種と栽培種とで含有成分を比べつつ、薬効を比較していくシステムを考えていく必要がある。薬効として重要な有効成分を明らかにしていくことが出来れば、生薬としての有効成分の多い品種に改良していくことも展望しうる。(木内氏)

・  医食同源、未病を治すという考えに立てば、生薬の問題だけでなく農業の観点からも、免疫力を高め健康に良い農作物を積極的に生産するということにも繋がり、産業活性化の切り札にもなりうる。(黒岩氏)

4.国家戦略としての取り組みの重要性

・  特別研究での議論がこういった日本の医療の仕組みそのものを変えるものに繋がるものとなるとは当初想定していなかったが、先日の「提言」で取り上げた諸点を戦略的に考えていくことはとても大事である。さらにこうした論点を掘り下げていって、政権としても「いのちを守る」プロジェクトの一つとして取り組んでいってほしい。(黒岩氏)

・  生薬原料の確保は、食の問題・医療の基盤とも繋がっており、国家戦略として取り組まなければならない。(梅村氏)。

・ 本日取り上げられた論点については、いろいろな可能性を感じたので、国家的な政策課題として持って帰りたい。オーダーメイド医療は、情報科学の分野におけるコンピュータやアプリケーションの進歩に繋がるであろうし、医療費削減にも寄与しうる。また、生薬原料確保の問題は、例えば同じぶどうでもブルゴーニュ地方のぶどう畑産であれば大変な価値が出るように、品種改良等といった投資をしていけばいずれ回収できるような仕組みは作れるように思う。多様なコミュニティと問題意識を共有できたが、今後とも一緒に頑張っていきたい。(鈴木氏)

(参考)主な発言者

第1部 「漢方を活用した医療」に関する検討・試算

(1)インフルエンザ治療薬として漢方薬を積極的に利用した場合の医療費節減効果の試算

・大澤一郎 (慶應義塾大学医学部・4年)

(2)葉たばこ農家の転作により、生薬原料の国内生産を増やすための条件の検討

・松本紘太郎(慶應義塾大学医学部・3年)

・竹原朋宏 (慶應義塾大学医学部・3年)

第2部 パネル・ディスカッション

『漢方・鍼灸を活用した日本型医療のための提言』を踏まえた今後の対応

<司会進行>

・黒岩祐治 (ジャーナリスト・国際医療福祉大学大学院教授)

<パネリスト>

・鈴木 寛 (文部科学副大臣)

・井元清哉 (東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター・准教授)

・木内文之 (慶應義塾大学薬学部・教授)

・渡辺賢治 (慶應義塾大学医学部漢方センター長)

・バックレイ麻知子 (患者)

<特別ゲスト等>

・梅村 聡 (参議院議員)

・土屋了介 (国立がんセンター中央病院・院長)

・原 丈人 (デフタ・パートナーズ・会長)

・後藤修司 (学校法人後藤学園・理事長)

以 上